めっちゃ話題のクソマジメブロガーあんちゃさんのこの記事、禿げるほど同意しました。
嫌われる人に共通する特徴:自分が得することしか考えていない。
先日教育系のサービス事業をしている友人と話していて、
「ぼくは”教えること”を仕事にしているのに、”タダで教えてほしい”という人がいる」という話を聞いてびっくりしてしまいました。
「タダで教えて欲しい人たち」には、相手の大切な時間や知識をもらっているという意識がないのでしょうか。
そしてそれに対して、何も対価を払わないって、自分のことしか考えてないじゃんって。
わたしは現在《あんちゃの出張!クソマジメゲス相談》という、「1時間○○円で相談乗りますよ」ってサービスをやっていますが
身銭を切ってでもわたしに「会いたい・話を聞きたい」と言ってくれる人には、やっぱりわたしも全力で向き合おうって思います。大事なお金をかけるほど、その人も真剣になり、その相談の時間は密度が濃く価値あるものになるからです。
超絶同意。
サラリーマンだと大体時給換算なので忘れがちですが、時間の価値は貴重です。
だって二度と戻ってこないんですよ!
いくらか僕も思い当たる節はあって。
昔友人に「社長に合わせてください!」という人がいて、紹介したことがあるんですよね。
後で感想聞いたら
「うーん、なんかイメージと違ったわ・・・」
って人がいたことがあったんですよ。
今それ言われたら、
は?
ってなります。
時間もらっといて、なんだか「学ばせてくれなかった相手が悪い」みたいな感じになってたんですよ。
いやいやいや、きちんと”何を話したいか”とか”何を学びたいか”を決めなかった自分が悪い。
と、思うくらい時間は貴重。
学生とよく会ってる社長ってすげえなあって思います。
まあこんな人はもちろん嫌われるよな
ハナっから自分の得しか考えてない人はそりゃ嫌われます。
これが許されるのって大学生のうちだけでしょう。
社会人になって軽々しく社長さんクラスに「色々話聞かせてください!」なんて早々言えない。向こうは超絶忙しいのです。
このあんちゃさんの記事では、”自分のことばかり考えてガシガシ相手を省みず突っ込んでいってしまう、いうなればわりとガツガツしてる人”について書いてるのかなあという印象でした。
恋愛で言えばこう
まあこういう人がもてるんだけどな
確かに周りが見えなくなると人に迷惑かけますからねえ。(人の目を気にする僕からした人の迷惑顧みず己で突き進めるタイプにはあこがれるけどね、ぶっちゃけ)。
じゃあだからといってその正反対、すなわち
自分に自信が無い周りに流される
遠慮しちゃう
怖がり
気を使える
ここら辺が嫌われることがないのかと言われたら全くそうではなくてですね。
残念ながら、
自分では他人に気を使ってるつもりでも嫌われる
こんなことは全然あります。
むしろこんなことしかない。
今回はそんな悲しい状況について。自戒というか、僕もばっちり当てはまるので辛さが非常に分かります。
気を使ってんのに嫌われるかよなんてお声が飛んできそうですが、そーなんす。
いや、
ソーナンスッ!!
・・・・
気を遣うとはもちろん“他人のためを思っての行動”ですね。
これはもちろんすこぶる良いこと。
相手に喜ばれるのは非常に良いモンです。
すごーく身近なとこだと飲み会でさっと取り分けたりね。
僕は超絶苦手だけどね。コミュ障は「これいりますか?」とか聞けない性質です。
でも出来るとかっこいい。
あとサラリーマン的には、上司の欲しい情報を全部予測してあげるとかね。
振られた仕事に対して+αでできると超喜ばれますよ(自分が出来るとは言ってない)
こんな感じで気を遣うってのは非常に良いこと。
で、ここでなんですが実はですね、気付いてほしいことがございまして。
僕がさらっと“気を遣う“と”気を使う“を分けて使用していたの気付きました?
気付かない?気づいてない?
うふふ僕の勝ち
まあとにかく使い分けしていましたよ。
これなんでかと言うと、
“気を使う“と”気を遣う“って全く別物
ということだから。
どこだっけなー・・・どこで聞いたっけなー・・・
出展不明ですが、ものすごく納得しているんです、はい。
てか一回記事の中で書いたかも。
“気を遣う“はまさに相手のためを思っての行動ですね。
さっきの飲み会の気配りや上司の考えの先回りなんかがそう。
相手の目線で、相手がして欲しいことに心を配ってあげる
ということです。
検索すると、
・気を使う(正:遣う)
「気遣い」が「気使い」になっている例は見た事がありません。
「使う」は広く使えるのですが、「遣う」は「心をあれこれ働かせる意味合い(by明鏡)」
なので、出来ることなら「遣う」を用いてほしいと考えています。
なるほど。確かに。
心を働かせて相手のために動こうという気持ちが見えるわけですね。
対して“気を使う“は、イメージとして精神を消耗してる感じがありますね。
物を使うとかお金を使うとか、
使う←こっちを使うのって“戻ってこないこと”や“数が減るだけのもの”という印象を受けませんか?
まさに「まだ気使いで消耗してるの?」という感じ。
そして、消耗する理由も
「相手に嫌われたくない・・・」「人の目が気になるから・・・」
「やらなきゃいけない・・・」
という自分目線な気持ちが強いからです。
結局相手に気持ちよくなってもらおうということより自分を守ろうという気持ちが強いから消耗するんです。
で、僕が冒頭に書いた
”自分では他人に気を使ってるつもりでも嫌われる”
これはまさに気を“使ってる”ときの話。
相手のことを気遣わず自分を守るために行動してたら、もちろん嫌われます。
それが自分の意図に反するものだとしても。
こんな偉そうなこと書いてますが、基本こういう考え方系の記事は僕の体験ばっかなんで自戒も込めて書いてますw
いやあめちゃくちゃ言われましたよ、はい。
例えば、学生時代に自分でイベントをやる機会が多くてですね。
先輩(たまに登場する例の四皇みたいな凄い先輩です)と一緒にやることもあったのですが、
連絡ミス
やることを忘れる
集客に取り掛からない
などのミスをするわけです。
そうするともちろん怒られました。
そのときに、僕が「はい・・・そうですね・・・」としゅんとして、押し黙ると
先輩「なんで黙るの?」僕「いや、申し訳ないなと思って・・・」
先輩「そういうのいいから。その“申し訳ない”は別に相手のことを思ってないから。自分を守ってるだけだから。ホントに相手のことを思うならちゃんと改善して」
とぐさりと言われたわけです。
自分は相手のことを考え「申し訳ないな・・・」と反省してるつもりなんですが、相手にとってはそれは全く違うんですね。
いやあ、自分に自信がない人は失敗すると“申し訳ない思考”になってしゅんとしがちなのでこれは衝撃でしたよ。でもホントに相手のためを思うなら、改善していくのが一番ですよね。
いくら反省の素振りを見せても何回も繰り返してたらそりゃ嫌われます。
また、無意識に嫌われる例として相手の求めてないことをするというのもありますね。
いわゆるありがた迷惑というやつ。
こっちが質問してないのにやたらめったら教えたがる人、いません?
いわゆる教えたがりな人。
これも正直嫌われる対象かと思います。
自分は「相手に色々情報をあげたい!」という一身で話すのですが、聞き手が
「あ・・・もう聞きたいこと聞けたけど・・・長いな・・・」って思ったら、それはもう気遣いではなくなります。
気遣いは“相手が”求めてるもの“を提供してこそ成り立つもの。
あげすぎてもいけないし、あげなさ過ぎてもいけないんです。
というわけで
気遣いの本質が“自分を守るため“や”相手の求めていないことを提供すること“になった瞬間遅かれ早かれ嫌われる対象になります。
もちろん「不器用ながら考えてくれてるんだなあ」と捉えてくれる人もいますが、そうじゃない人もいます。
自分で気を“遣ってる“つもりが”使ってる“状態にならないように気をつけないとなあ。
終始自戒を込めた記事になりましたがこの辺で。