【拷問博物館とは?】明治大学の不思議な名所……!戦慄の歴史に触れる隠れスポットへ行って来た。

 

 

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拷問専門だなんて興奮するじゃないか……!!!

 

 

とばかりに、僕の変なモノ好きの血が騒ぎ立つ場所へ行ってまいりました。

その名も『拷問博物館』!ネーミングからして既にカオスな雰囲気がムンムン……。

こんな得体の知れない場所が、大都会のど真ん中に佇む明治大学にあるなんてマジで驚きです。

 

 

 

  

拷問博物館とは?

 

明治大学『アカデミーコモン』というタワーの地下にある三種類の常設展示の内の一つ。

かつて日本や世界で行われていた拷問の歴史や器具のレプリカを鑑賞することがでいます!

『三種類の常設展示』とは以下のモノです。

 

 

商品部門:

『漆器』『陶磁器』『染物』等、日本の伝統工芸品を展示。その魅力や手法、伝統工芸品の価値等について学べます。

 

刑事部門(拷問博物館):

かつて日本や世界で使われていた拷問器具の鑑賞や、刑罰の一連の流れを体験できるブース。今回鑑賞した拷問博物館はココにあたります。

 

考古部門:

『土器』『土偶』『青銅器』『貝塚』等、歴史上重要な出土資料が展示されたブース。明治大学の50年以上に及ぶ調査研究の成果が一同に介しています。

 

 

アカデミーコモンにはこれらの常設展示の他にも、明治大学の歴史を振り返る『大学史展示室』や、明治大学出身の作曲家について展示した『阿久悠展』等も開催されています。

 

 

考古学や拷問、さらには作曲家の展示まで……。かなり幅広い鑑賞を楽しむことができるんですねえ!

 

 

 

拷問博物館へのアクセスや営業時間等

 

住所:

〒101-8301
東京都千代田区神田駿河台1-1
アカデミーコモン地階

電話:03-3296-4448

FAX:03-3296-4365

 

開館時間:

10時〜17時 

 

休館日:

夏季休業 2018年8月10日〜16日

臨時休館日 2018年8月19日

冬季休業日 2018年12月26日〜2019年1月7日

上記期間を除く『日曜・祝祭日・大学の定める定休日』

 

入館料:

常設展は無料(特別展は有料の場合あり)

 

 

アカデミーコモンに入ってからの行き方

 

①入ってすぐ大きな広間に出るので、エスカレーターの裏側へ行きます。

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②地下行きのエスカレーターがあるのでそれに乗ります。

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③エスカレーターを降りるとこのような看板があります。常設展示は右の部屋です!

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④この中に入り少し奥に進みます。

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⑤奥に地下へ続く階段があるのでそこを降ります。この下が拷問博物館への入り口です!

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拷問博物館を見て行こう!

 

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部屋に入るとこのような感じ。天井に手前から『商品(青)』『刑事(緑)』『考古(赤)』の札がぶら下がってますね。

 

 

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今回の目的の拷問博物館は、真ん中の『刑事』ブースに展示されています!それでは早速見ていきましょう!

 

 

 

拷問器具なんて見る機会ないからなあ……、どんなものが出てくるんだろう?

 

 

 

捜査と逮捕

 

ここでは江戸時代に行われていた捜査や犯人逮捕の際に用いられていた道具、その風景を見ていきましょう。

当時の捜査や逮捕は、村や町の『自治的対応』と領主による『公的対応』によって執行されていました。

いわゆる『岡っ引き』と呼ばれる方々が下記の道具を用いて犯人を追い詰めていたんですね。

 

 

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これは『捕者三道具(とりものみつどうぐ)』を使う岡っ引きの様子。

よく時代劇で見かける道具ですね!『捕者三道具』とは以下の物です。

 

 

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手前の棒が『袖搦(そでがらみ)』

 

 

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奥のT字状の道具が『突き棒』

 

 

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 そしておなじみ(?)の『刺又(さすまた)』

 

 

学校に防犯用として刺又が置いてあったけど、こんなに棘はなかったぞ……。攻撃用って感じがすごいな……。

 

 

 

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この『御用提灯』を掲げて犯人を追いかけていたんでしょうかね。あんな厳つい道具を持って追いかけられたら、犯人にとってはさぞ恐怖でしょう。

 

 

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こちらは実際の逮捕の様子を描いた絵画。全員の表情から鬼気迫るものを感じます。

 

 

『絶対に捕まらないぞ!』と『絶対に捕まえる!』という気迫がぶつかってるわ……

 

 

 

他にも、これらに関連する貴重な書物も展示されています! 

 

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これは『條々(じょうじょう)』と言って、江戸時代の村の法律について定めたモノ。犯罪発生時に役所へ報告することを定めています。

法律には『村で自主的に定めるモノ』と『領主が提供するモノ』の二種類があり、こちらは後者です。

 

 

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これは『人相書』。

重い策略・主殺・親殺・関所破りーーー通称『四罪』の犯人は、ここに詳しい人相を書かれます。似顔絵だけじゃないんですねえ。

 

 

ちなみにここには、店の主人殺しの犯人について書かれています。25歳の実年齢よりも老けて見え、中肉中背、丸顔で頬骨が高い等の特徴が書かれています。

……あれ?僕も25歳より老けて見られるし、中肉中背だぞ……?

 

 

 

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これは『衛門類例秘録』。江戸城城門警備の手引書です。このページには、役人の所属先目印としての、羽織と十手が描かれています。

 


ちなみに十手の展示もあります。

 

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左から『鉄製銀流し十手』『捕者出役長十手』『真鍮銀流し十手』

 

 

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左から『木製十手』『鉄製目明し十手』

 

 

実践的かどうか、また地位や使う場所によってデザインが違うんですね

 

 

 

取り調べと刑罰の決定

 

次は取り調べの手順と刑罰の決定方法についてのブース。このあたりから実践的(?)な拷問器具が登場します。

 

 

実践的ってなんだ……

 

 

  

取り調べの手順

 

取り調べは奉行出席のもと人物の取り調べを行い、勾留方法が決定されました。牢屋に入れられたり、役人に預けられる場合もあったそうです。

この勾留の後、下役人による本格的な取り調べが始まります。ちなみに牢屋はあくまで勾留用の施設なので、取り調べ自体は奉行所で行われていました。

 

 

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勾留中の囚人達と、奉行所へ呼び出される囚人の図です。まとめて一気に連れて行くんですね。これだけの囚人が集まるのはなかなか壮観……。

 

 

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この『捕縄(とりなわ)』を使って逮捕したり、護送を行なっていました。勾留される牢屋は主に江戸の本牢である『小伝馬町牢屋敷』という場所。

身分・性別・罪種により牢が分けられ、以下の種類があります。

 

 

大牢

二間(にけん)牢

女牢

百姓牢

揚屋(あがりや)

揚座敷(あがりざしき)

 

 

 

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その小伝馬町牢屋敷内でのしきたりを記したのが『牢内深秘録』。囚人内にも序列が存在し、『牢名主』等の役付囚人が支配していました。

 

 

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江戸時代の牢屋の始まりについて記した『江都官録秘鑑』という書物も展示してあります!

 

 

取り調べと拷問

 

 

ここから拷問器具が出てきます!見るだけで痛い奴もあるので割と閲覧注意な感じです。

 

 

被疑者が自白し一通りの供述が得られると、それを基に口書が作成されます。奉行と共に口書の確認をし、押印させると取り調べは終了です。

基本的に拷問は、相当確実な証拠があるにも関わらず自白しない場合に行われます。

そのために『拷問=役人の能力不足』という見られ方もありました。これから紹介する拷問も、決して頻繁に行われたわけではないのです。

 

  

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これは『石抱拷具(いしだきごうぐ)』という道具。たまに漫画とかで見かけますね……。

三角の木材を打ち付けた算盤板(そろばんいた)に正座させ、膝の上に責め石を置いたモノです。

 

 

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石の重さはなんと約50kg!上と下の圧迫を考えるととんでもない痛みが……。

 

 

この態勢でこの重みは地獄以外の何物でもない

 

 

 

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屏風の顔からも伝わる苦痛……。これ徐々に足が切れていくんですよね……。

下の『海老責』もかなりキテル。後ろ手に縛って上半身を極度に前傾させ、さらに縛って放置するというモノ。

体を一方向に縛って動けなくするのって相当な苦痛です。僕らも寝返りうたなかったら全身痛くなりますし……。

 

 

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笞打の拷問に使われた『笞(笞)または箒尻』です。ムチと聞くと縄っぽいのを想像しますが、それよりもはるかに強烈な太さの棒。

これで人間の背中を殴るのだからなんともえげつない……。

 

 

実物はもっと太いです。普通に死ぬだろ……。

 

 

 

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両腕をねじあげ、体を宙に吊り上げる『釣責拷具』。空中に晒されながら、役人に叩かれ続ける恐ろしい責め苦……。

 

 

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身動き取れない状態でひたすらぶっ叩かれるのはなんとも地獄……。じわじわ責められる拷問と違い、一回一回が相当な激痛でしょう。

 

 

 

 

実はこれらの拷問の手引書もあるんですよ……!すげえ……!

 

 

 

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上が『徳隣厳秘録(とくりんげんぴろく)』、下が『刑罪大秘録(けいざいだいひろく)』という拷問の手引書。名前は違いますが同じ書物です。

 

 

刑罰の決定

 

これらの拷問を経てついに刑罰が決定されます。そうなんですよ、これらの痛々しい拷問はまだ刑罰じゃないんですよね……。

刑罰の中身は先例との比較によって妥当なモノを決めていました。現代と違い上訴の制度は無く、原則すぐに刑の執行に移ったのです。

 

 

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この『御仕置例類集』を基に裁判を進めて行きました。中身は、これまでの刑事裁判を種類別に編集したモノです。

 

 

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今の裁判とは全く違いますね。裁判員なんてモノもありませんし、上訴も無いので結構独善的に決定されちゃうこともあるんじゃないでしょうか……?

 

 

刑罰の執行

 

刑罰は罪の重さや種類によってある程度体系化されていました。

特に江戸時代は晒しや引き廻しによって刑罰を民間人に見せることによって、犯罪の抑止・権力の威光を示そうとしていたのです。

  

 

刑罰の種類

 

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この『手鎖(てじょう)』を掛け、出頭日まで個人の自由を奪う自由刑というのがありました。

 

 

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当時は不義(今の不倫)をすると手鎖をつけられていたんですね……。この様子を街人に見られたら全てを知られてしまうのです。

 

 

 

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『入墨』は主に盗みに対して科せられる刑罰です。奉行所によって入れる場所が違うのでどこで罪を犯したかがわかるようになっていました。

 

 

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麻酔とかもなく入墨するんだから相当な激痛だろうな……。

 

 

 

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この『鋸引仕置の刑具』は、最も重い主人殺しにのみ適用されました。二日間晒し、一日引き廻しの上で磔にされるというとんでもなく重い刑罰です……。

 

 

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犯罪者の名前や罪状を記した『紙幟(かみのぼり)』を、引き廻しの際に先頭に掲げていました。処刑後は刑場に立てられます。

 

 

 

生きてる間に晒され、鋸で首を切られ……この時代の犯罪者には本当に地獄のような刑罰が与えられていたんですね。もちろんそれだけのことしたわけですが

 

 

 

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斬首となった犯罪者は見せしめのため『獄門首台木(ごくもんくびだいき)』に三日間晒されます。

二本の鋼に首をブスッッ……。亡くなっているとはいえ、なんとも痛そう……。

生きてる間に晒され、処刑されてからも晒され、本当にこの時代は犯罪者への激烈な罰則意識があったんです。

  

 

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見た瞬間に恐ろしい『磔柱』。ここに人をくくりつけ、生きたまま槍で突き刺すだなんて、想像するだけで肝がヒュンッ……。

 

 

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いやああああああああ無理無理無理無理無理無理。激痛があるのに動いて悶えられないのもキツい……

 

 

 

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『火罪木(かざいき)』は放火犯にのみ適用される刑罰。同害報復刑といって、自分がしたことをそのまま刑罰にしています。

 

 

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うわああああああああああああああああ

 

 

様々な刑事博物

 

さて、日本の拷問や刑罰いかがでしたか?江戸時代の犯罪への激烈な意識が垣間見える内容だったと思います……。

 

 

この時代に犯罪を犯そうなんて普通の人は思わなかっただろうな

 

 

ここからは時代が変わり、明治以降の日本の刑罰や海外について少し触れていきましょう。いわゆる『拷問』の毛色とは違い『死刑』の括りになってきます。

 

 

明治の刑罰、諸外国の刑罰

 

江戸幕府から明治幕府に体制が変化すると刑罰も変化します。これまでは様々な方法で罪人を拷問していました。

しかし刑法が整備されていくことで執行方法も徐々に絞られ、最終的に死刑方法は『絞首』のみとなったのです。 

 

 

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これが明治政府最初の刑法を記した『新律綱領』です。中国や日本の律、江戸幕府の定めの記録を元に制定されました。

 

 

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新律綱領で定められたのが、この『絞罪柱(こうざいちゅう)』による絞首刑です。

 

 

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『小懸錘』『大懸錘』という鉄のお守りを縄の先にくくりつけ、足元の踏み板を外します。しかしこの方法は死刑囚の苦痛が著しく問題点も多かったそうです。

 

 

実物はかなり大きく重量感がありますよ

 

 

 

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絞罪柱の問題点を解消したのが『絞首台』です。

階段で上がり、床が一気に抜ける仕組みですね。現代にも継承されている形です。

 

 

 

ちなみに現代の絞首刑ではボタンを押して床が抜けるのですが、押した警察官の罪悪感を無くすためにダミーのボタンを含め数人に同時に押させるそうです

 

 

これ以外にも各国の刑罰方法を定めた書物も展示されています。

 

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こちらは『マリアテレジア刑事法典』。ハプスブルク帝国で公布されたモノです。拷問方法が細かく記されています。

 

 

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こちらは『清朝刑罰図』。22枚の銅版画で清朝時代の刑罰が描かれています。ロンドンで出版されました。

 

 

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清朝刑罰図より抜粋されている『くびかせ(「金偏に甘い」が正しい字)』です。

この状態で首で固定されるというじんわり苦痛が走る拷問。横になったり体勢変えたりできないでしょうから相当キツいはずですねえ……。

 

 

欧州における刑罰思想

日本でも死刑制度が整備されたように、欧州でも刑罰への考え方が変化していきます。

例えば、イタリアの法律家ベッカリーアによって現行の刑罰制度への批判がなされ、以後の刑法思想に大きな影響を与えました。

またフランスでは、医学者ギヨタンによって『全てに死刑囚に斬首を行うべき』という主張がされたのです。

 

 

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この提唱によって生まれたのが有名な『ギロチン』。非常にギヨタンに響きが似ています。発明者の名前から取ったものだったんですねえ。

 

 

 

 

ーーーと、思っちゃいそうですが実はギヨタンはギロチンの発明者ではありません!

断頭台自体は以前より存在していたのですが、それの有用性を説いたのがギヨタンだった、というだけ。本人は自分の名前をもじって使われたことが相当嫌で、最終的には家族と共に姓を変えたそうです。

 

 

 凄まじいとばっちり、ギヨタン……。

 

 

鉄の処女と恥辱形

 

最後に出てくるのが、こちらもかなり有名なあの拷問器具です。

 

 

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内部に恐ろしい針を持つ『鉄の処女』です。もちろん本物ではなくレプリカです(本物があったら呪われそう……)。

中に人を入れて一気にザクッーーーそんなイメージが強いですが実は違います。内部の針は後年につけられたもので、元々は恥辱刑の道具だったのではと考えられています。

 

 

どのみちこんなところに押し込められたら恐ろしくて気絶しそう……。いや、刺されることを考えたら気絶した方が幸せだったかも……。

 

 

不思議な魅力を持つ拷問博物館!

僕の中の『不思議な雰囲気を持つ場所にハマりたい欲求』を大いに満たしてくれる拷問博物館。

子供の頃に歴史の授業でなんとなく習ったような内容もありましたが、実際に目の前で見てみると心が静かにざわつくような気分でした。

もちろん今ではどれもこれもありえないことばかり。しかし実際には、これらが無くなってからまだ150〜200年程度しか経っていないのがなんとも不思議です。

ボリューム的にはおそらく20分程度で終わる内容。ですがこの雰囲気が好きな方なら、何度でも見たくなること間違いなしです。

僕は当然一人で行きましたが、カップルや友人同士、若い女性や初老の方などかなり幅広い客層が来ていましたね。

 

 

近代的な明治大学構内から一転、一気に不思議な雰囲気に踏み込めるこの拷問博物館、是非一度ご鑑賞ください!

 

 

明治大学公式HP

 

www.meiji.ac.jp

 

 

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